大学時代はアメリカンフットボールの選手として活躍。
その後プロレスラーを目指しキラー・コワルスキージムで技術を磨く。
97年にWWE教育リーグに参加し、その後「アルバート」や「Aトレイン」の名前で活躍。
05年3月ジャイアント・バーナードというリングネームで全日本プロレスに登場。TARU率いるブードゥー・マーダーズの一員として大暴れ。10月には三冠王座へ挑戦し、王者小島を後一歩の所まで追い詰めた。
12月、突如新日本の試合会場に現れ、新日本マット参戦をアピールし、ファンを驚かせた。
06年1月の東京ドーム大会では中西とシングルマッチで対戦し、ド迫力ファイトを展開した。
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