新日本プロレス学校を経て90年4月入門。93年8月〜95年10月までアメリカ修行。帰国後、藤波の自主興行「無我」に参加して無我魂を伝授される。
97年欧州CWAのマットに参戦。98年1月に帰国するがガンを患い治療の為長期欠場。リハビリに励み、00年6月藤波戦でリングに復帰。
02年8月のG1クライマックスでは、巧みなテクニックを駆使して初のベスト4進出を果たし、12月に中西・吉江とのトリオでトライアスロンサバイバーに優勝。03年1月に師匠である藤波から初勝利。11月のG1タッグリーグ戦で天山と組み優勝。一ヶ月後には天山と、IWGPヘビー級タッグ王座に君臨する。
04年あたりから悪行レスラーを更正させようと説得するようになり、無我出身の竹村を「CTU」から更正させる。偉大な先人たちを師事し、自らの哲学を広げ、マット界の事から世界平和、最後は宇宙の法則まで無限に広がる。無我の極意は奥が深い。時々裸足で試合をする事がある。
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